ルームさんは、どんな気持ちで、六甲山に目をつけたのだろう。空気が映し出されるハウス1901年の秋、六甲山に日本で最初の4ホールのゴルフコースを造り、2年後の2月27日に、9ホールに拡張し神戸ゴルフ倶楽部を旗揚げしたのは、アーサー・ヘスケス・グルームさんだった。グルームさんが48歳のときに、六甲山頂に「101山荘」(いまの六甲山牧場の近くにある三国池付近)をつくった。いまでいえばDIY。自分で土地を開拓し、別荘を建て、そしてゴルフコースを造ったのだ。その当時、駕籠で麓から山頂までは2円50銭から5円の手間賃がかかったという。新橋―大阪間の鉄道料金が6円5銭の時代だから、決して安くはない。とまれ、グルームさんのお陰で、日本のゴルフの夜明けが始まったのである。神戸ゴルフ倶楽部は、プレーするときは必ずこのキャディバッグ(写真)に入れ替える。本数も10本以内と決まっている。そのキャディバッグは、古く神戸大学の学生バイト君が4つ担いで帯同する。だから、1人10本を5本や7本と本数を減らしてくれるメンバーの人たちが多い。トートバッグは自分で持ち運び、できる グ048シンプルな神戸ゴルフ倶楽部専用のキャディバッグ時をかけるゴルファー37
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